昨日、病院に行ってきて、正式に「悪性」の告知を受けた。
午後休をとっていったのだけれど、2時間以上前についてしまい、1時間はカフェで時間をつぶしたものの、そわそわしたので早めに病院へ行ってしまった。。。
服を着替えるお話をいただき、やっぱりそうだろうなと思い、だけどわんちゃん、結果不明で再検査も頭をよぎり。
先生も看護師さんも、とてもやさしく信頼の持てる方だった。
細胞診の結果は悪性、ただ、はっきりしないこともあるので、生検という麻酔を使う検査を行い、別日でMRIを行うことになった。
がんの場合、たいていは固い?らしく、針を刺した感じではわたしのは違ったので、先生もうーむ、、という感じだった。転移があるかないか、まだ何ともいえないけれども、ステージ0か1の可能性が高いらしい。ただ、前回も「これは大丈夫!」だったから、最悪のケースも予想しておこう。
心の準備ができていたからか、冷静だったと思う。次の流れなども、しっかりと聞けたと思う。
今後のことは看護師さんと話すことになったのだけれど、家族の話になったとき、母のことが想像して涙があふれてしまった。そこからは涙腺崩壊のいつものパターン。
でも、看護師さんの心遣いというか思いやりというか、本当に心に沁みて、仕事の話になってしまうけれど、支援の仕事も最終的にはここにいきつくのではないだろうか、など感じた。
ひと息ついて姉に連絡し、たぶん姉もかなりショックを受けたようだ。
すまんのう。迷惑をかけるよ。
上司にも一報入れておいた。
近しい友人にも。
前日から当日、そして今日、頭にいろいろなことが思い浮かんだ。
もちろん不安や否認、期待や諦め。
一方で、このままの身体で死ぬのは嫌だな、という思いも湧いてきた。
ここ数年、やる気が起きず、行動力も減って、10キロ以上太ってしまったのだ。その前に10キロやせたのに・・・
見た目がどうこういうよりも、体が重くて、全然本調子ではない。いろいろなものがたまっている気がして、死ぬにしても、せめてもう少し心地よい体で死にたいと、そんな思いが湧いてきた。
あと、瞑想のことも思い出した。以前先生が、お父様が無くなられる際に、仏典にある最後の呼吸のお話をされたことを思い出し、私も最後まで静かに呼吸を見つめていたいな、と思ったのだった。それと、これは個人的に以前から思っていたことなのだけれど、死ぬときの最後の意識状態ってどんなものなんだろうというのに興味があって、わたしごときでは、意識を保つことはできないとは思うのだけれど、できるだけながく見つめていたいな、と思ったので、再び瞑想。
あとは何かな。
もし早期で、程度が軽いのであれば、残りの人生の生き方が実験材料になるかなと。
そしてこちらの方向を期待している気持ちがあるのに気づいたり、任せないとなと思ったり。
そうそう。看護師さんの対応などから、キュープラー・ロスの本を改めて読み直したいと思ったり。
そんなときを過ごしていました。

