「早く終わらせたい」衝動

日々是好日(dairy)


フリー(=無職)になってから最初の3日くらいは、少しアタフタしていた感じがしたが、しばらくすると、すーっと落ち着いたルーティンの日々がやってきた。

毎朝、仕事をしていたときと同じ時間に起き(意識しているわけではない)、温かい飲み物を一杯飲み(最初はいつも通りのコーヒーだったが、しばらくするとあまり美味しく感じられなくなったので今ははちみつ牛乳を少し)、その後いつもどおりのシャワーを浴びて、髪を乾かした後30分の瞑想を行う。瞑想は、最初の2日くらいは10分が過ぎるのが長かったが、今はもう30分は大丈夫。そろそろ1時間に延ばしてもいいかもしれない。

その後朝ご飯を作る時間があるので、前日から解凍していたお魚か鶏肉を使って簡単な朝食を作る。温かい朝食を食べるのは久しぶりだ。そして身支度をして外に出る。人の少ない道をかいくぐって、人の少ない緑の多い場所に行く。そこで気功のようなものをしたり、身体を動かしたり、本を読んだり、眠ったり、写真を撮ったり、踊ったりする。1日大体2つくらい。やることは特に決めていない日が多いが、荷物が多いのは嫌なので、出発前にある程度検討する。

お昼休憩になると、人出が少し多くなるため、人の少ない場所に避難する。そしてお昼休憩が終わった頃に、おもむろに戻ってくる。その後は自宅に帰るか散策するか食材を買い出しに行くか、など。夕方の早い時間には自宅に戻り、夕食を作って食べる。1日2食か、2食+軽食になることが多いが、あまりお腹は空かない。今回再び気づいたことだが、特に瞑想を一定時間した後は、あまり空腹を感じることがない。飲み物で十分な感じになる。

夜は、いろいろと作業や勉強をしている。本を読んだり、youtubeを見たり、ポットキャストを聞いたり。最近ポットキャストが誰でも簡単にできるというのを知り、Anchorというアプリをダウンロードして配信してみた。設備もコンセプトもなく、ただ話すだけだけれど、一応それっぽくなるので面白い。視聴者は今のところ私ひとり。自分の話しているのを聞いていると、なぜだか分からないがぐっすりと眠りに落ちる。アルファー波らしきものが出ているのでは、という思いが沸き上がる。いつか分かる人に見ていただきたい。

そんな日常を数日ばかり送っていると、「もうこれが永遠に続いてもいい」という思いが湧きあがる。自堕落になってきているのだろうか、それとも自分にとっての最高の生活を見出してしまったのだろうか。

ここに至るまでに、いや今でもたまに生じるのだけれど、「早くやろう」「効率よくやろう」という衝動が何かの折に浮かび上がってくるのを感じる。洗い物しかり、料理しかり、様々な準備しかり。そんなとき、「いま、早くやる必要はない」「効率よくやらなくてもいい」「やることを忘れてたっていい」という言葉を自分に投げかけてみたりする。

生まれつきの性質ではないと思うけれど、仕事をしはじめてから、仕事のスピードや効率の良さは平均より上だったと思う。自分でも意識していたし、得意だとは思っていた。ただそれは何よりも、「早くやることを終わらせて、ゆっくりしたい」という思いに下支えされていたからなのだけれど。

あるとき、一緒に仕事をしていた人から言われた言葉がある。「仕事は終わらせることが目的じゃないだろう」。

「いったい何を言ってんだ。この人は」と思ったけれど(実際、その人の仕事は完遂されないことで有名だった)、折に触れ思い出すその言葉は、どうも私に足りないものを指し示しているかのようだった。きっと仕事が面白くなくなってしまうのは、この辺りも関係しているんじゃないかな、と感じている。

だからかもしれないけれど、今は「仕事」という(自分で決めた)制約が無くなったので、効率を求めない、早くやらない、完成を目的にしない、ことなんかを意識している。楽といえば楽なんだけど・・・でもふと訪れるその「衝動」は、いったい何から、どこからやってくるものなんだろう。

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