コロナ前後、Newton別冊『人体完全ガイド 改訂第2版』

日々是好日(dairy)
DSC_0181.JPG


いよいよコロナが身近に迫ってきた(実感を得ている)。すれ違う人との距離を測ったり、地下鉄のポールでうっかり身体を支えてしまい、慌てて手を引っ込めるなど。

先日、堀江さんが専門家にインタビューをしている動画(youtube 音が出ます)をみて、コロナウィルスのこと、必要且つ効果的な対策や予防、そして過剰に反応しなくてもよいこと等を自分なりに整理できた。

今日は仕事が休みだったが、コロナ対策を意識して外にでてみた。意外といろいろなところに手を触れているのが分かり、どうやったらこの頻度を少なくできるのだろうかと思ったけれど、まず持ち運ぶものとしては、ウェットティッシュ、ハンカチ、手袋、マスクなどがよいかもしれないと思った。

例えば「手」を扱いを決めてみる。「右手は自分に触れる手」「左手は外界に触れる手」。その2者を交わらせず、交わった場合は手洗いやウエットティッシュで拭く。手洗いが難しい場合などは、左手でハンカチをもって触れる。

なぜこんなことを考えるのかというと、私の特性として「エレベーターにスムーズに乗れない、降りれない」というのがあるからだ。小さい頃から何故だか怖くて、乗る前にしばらく足元の眺め、息を整えて3つくらい後からくる段に足を乗せる。特に降りるときが苦手で、先の仕草に加えて「手すりをもつ」という動作が加わる。そんなまどろっこしいことをしているわけだけれど、平時においてはたいした問題は生じない。だが今は、電車のつり革やポールはまだ踏ん張れるとしても、この「エレベーター問題」があるおかげで移動時は必ず「外界」と接触をすることになる。よって「接触を前提とし、その上で如何にリスクを下げるか」が今のマイ争点となっている。

とはいえ、この対策には限界がある。職場であり仕事である。福祉の仕事に就いているおり、ある種の社会インフラの意味を持つ。もちろん優先度などはあるが、基本的には自分たちのことだけを考えることはできない。そのサービスがないと困る人たちがいるからだ。私が就いている仕事は生命に直結する業務ではないので、そういった意味においては気が楽なのだけれど、一方で体に疾患を抱える人に接する機会が多いので、万が一自分がウィルス媒介者となってしまった場合、他者に重篤な状態を引き起こしてしまうかもしれない。その恐れは存在する。

あと2週間なのだ。今の仕事は。まさかこんなタイミングに退職時期が揃うとは思ってもおらず、複雑な気持ちになることもある。職場はまだ大きな混乱は生じていないものの、コロナ対策や運営の変更を都度起こっており、今後もその動きは更に加速していくだろう。そんな中で戦線離脱するのであり、スムーズに後任に移行していけばいいなと思う。

一方自分のことを考えてみると、仕事を辞めたら行こう、しようと思っていたことのすべてが途絶えることになった。どこにもいけない。ロックダウン。そしてきっと再就職も難しいだろう。ロックダウン。

ただ、それほど気に病む状態になっていないのは、まだ深刻さが足りないのか、生来の気質か、覚悟か、諦めか。氷河期世代は、そもそもあまり期待をしない世代なのかもしれない。

ニュースを読んでいると様々な様子が描かれる。何が事実かはなかなか見えてこない。ただ、国内外で起きている意図的に他者に感染を広げる行為は複雑な気持ちになる。もちろん、1件1件その背景は異なるだろう。アメリカの事例などを読んでいると、例えば「あの委託業者」の労働状況はいったいどうなっていたのだろう。安全性への配慮はされていたのだろうか。誰か気遣っていたのだろうか。自分を取り巻く世界が「ロックダウン」しているときに、その中で守られている人たちに為に、守るために働く人たちは、「使命感」でもあれば別だが、そうでなければ精神的なストレスは相当のものだろう。そしておそらく、この「コロナ」だけではない積み重なった何かがあるのかもしれない。「コロナ」は、平時では表面に現れなかったものを、可視化させる要因にもなったのだろう。

世界はこれをきっかけにどういった方向に進むのだろうか。

最近、福岡伸一さんの本を何冊か読んでいることと、コロナウィルスの影響で、こんな本を買ってしまった。

Newton別冊『人体完全ガイド 改訂第2版』








人体って、生命って、面白くて不思議。




志村けんさんがお亡くなりになられた。
小さい頃のヒーローだったな。安らかにお眠りになられることを。

タイトルとURLをコピーしました