ニーチェに吸収された夜

日々是好日(dairy)


「いんよう!」が好きでよく聞いている。
話の内容もだけれど、どちらかというとお二人の掛け合い自体を面白く感じている。仲いいんだろうな〜、とか、どんな背景があってこういうことをやろうと思ったんだろうな〜とか。自分の好きなことを、世界に入りきって好きなように語る人を見るのは(聞くのは)好きだな、とか。




第20回では哲学の話になり、以前ようさんにご紹介いただいた飲茶さんが出てきたので、久しぶりにHPを見に行ったところ、「最強!ニーチェ」のオーディオブックが期間限定で無料になっているではないか!購入してみる。




哲学と私の歴史は、小学生くらい?倫理?の授業でソクラテスやプラトン、アリストテレスのことを知った。「無知の知」や「真善美」など、広大なものを見せてくれる用語を目にすると、すごく深遠な気持ちになった。高校生くらいになると、孔子や老子、あのあたりの中国の思想家の簡単な本を読んで、人生訓にしていた(特に当時は老子がお気に入りだった)。大学では、当時付き合っていた人が家に西田幾多郎の本を持ってきて、「誰なの、それ」と驚き、ちゃんと話ができるようになろう、とこっそり図書館で借りて読んでみたけれど、何度チャレンジしても、ほんの少しも、1ページも読み進めることができなかった記憶がある。最近では、ナラティブ・セラピーを学んだとき、その背景にポストモダンの影響があり、ここが理解できないと真の理解は難しい、という話を聞いたので、少しだけ努力を試みたものの、やっぱりよくわからなかった。




ニーチェと私の歴史になるとほとんどなくて、友人が付き合っていた人から「『ツァラトゥストラはかく語りき』で書いてあることがわかると僕のことがわかる」と言われ、返答に困ったことがあるくらいだ。




オーディオブックは4時間くらいのもので、最初の1回目はほとんど聞き流していたのだけれど、ところどころに意味理解ができ、もったいないなと思って2回目へ。で、この2回目が、とてもよく理解ができた。途中、初期仏教との親和性などにも目が向いてしまい、そこからは、なにがどうなっているのか、仏教の構造とニーチェの思想の比較や差異などにも考えが向いてしまう。また、先日書き上げた修論の最後のテーマと重なっている箇所もあり、ニーチェはどう考えたんだろう、と興味深かった。




結果、かなり疲れてしまい、もともと偏頭痛もちではあるけれど、最近ではあまりなかった大頭痛がやってきて、氷で冷やすけれども眠れず、翌日の通勤中も、仕事中もニーチェのことばかり考えていて、仕事が邪魔くさくて仕方がなかった(こういうとき、自分の関心事以外の雑音を一切入れたくなくなる)。考えれば考えるほど更に痛くなるから、止めたいのけれど、次に読まなければならない本の探索の手を押しとどめることができず、そして郵送の時間も待つのも惜しく、kindleでポチポチと買ってしまったり。それを読みたいけれど、読むと頭痛が悪化するという悪循環。こんな頭の中になると、一度アウトプットするまでは症状は収まらないだろうな、とも思ったのだけれど、時間が足りない。なぜ、休みの前のタイミングで聞かなかったのかと後悔した。




丸2日くらいたって、やっと体が落ち着いたのだけれど、なかなかハードな日々だった。少しだけ、熱もでていたような気がする。体調が悪かったのだろうか。




体調もよくなったので、まとめてみようかな、と思ったのだけれど、意欲も同時に落ち着いてしまった様子。前後の文脈を理解する方が先かな、と、勢いの中で買った「史上最強の哲学入門」「史上最強の哲学入門(東洋の哲人たち)」を先に読み進める(ともに飲茶さん著)。週末は、きっとこれを読むのだろうな。で、これを読んだら、各哲学者個別のもう少し詳しい本を読まないとまとめられないな、と思うのだろうな。




数年に1冊、ブログに書かずにはいられない、と思う本と出会う。魚川祐司さんの『仏教思想のゼロポイント』だったり、国重先生の『ナラティヴ・セラピーの会話術』だったり。おそらく、当時の自分の中のテーマと関係があるのだろうけれど、そういう本と出会ったときは、本当に幸せ。考えをまとめるのに数時間はかかってしまうのだけれど、書き終わったあと、大げさだけれども、「今日だったら、死んでも悔いはないかも」と思ってしまう。

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