マジョリティとマイノリティ

日々是好日(dairy)


端的にいうと、マジョリティが多数派で、マイノリティが少数派、ということだろうと思う。
昨今の文脈では、マイノリティにスポットを当て(当てられ)、いろいろな施策や活動が進んでいっているように思う。それにともない、「マイノリティ」という言葉を目にする頻度が、以前よりは増えてきた。

私の置かれている環境もそれに近しい傾向があるのだけれど、そんな中、「マイノリティって何だろう」と思う機会がしばしばある。例えば、何かの属性を判断基準として「少数派」というのであれば、比較的分かりやすいのだけれど、属性を離れた、主観的な捉え方として、「マイノリティ側に属する人間だと思うか」、あるいは、「マジョリティ側に属する人間だと思うか」という質問をされたとき、はたしてその回答は、マジョリティはマジョリティ足り得、マイノリティはマイノリティ足り得るか、など。

一度、アンケートなどとってみたいと思っているのだけれど、予想では、多数の人が、「自分はマイノリティだ」と回答するような気がしてならない。それは、私が置かれた環境に影響を受けているのかもしれないし、私自身が自分をマジョリティ側の人間だとは思えないことに起因しているのかもしれない。だけどおそらく、見る人からみれば、私は「マジョリティ」に属することもあるだろう。

まあ、みんな何かのマジョリティであり、マイノリティだともいえるし、ひとりひとりがすべて違う、を厳密に考えると、あらゆる人はマイノリティだし、そういった意味ではマジョリティなのかもしれない。
漠然としたイメージとしては、マジョリティ=安心、マイノリティ=不安、孤独、などが思い浮かぶが、私などは逆で、マイノリティだと感じることに安定感を感じたりするので、実は本当の感じ方は、思うよりはるかに多様なのかもしれない。

そんなこんなの月曜日。スターバックスの無料チケットで、いつもなら買わないフラペチーノのベンティサイズを買ったのだけれど、空腹が不安になった買ったシュガードーナツと、フラペチーノの想像以上の甘さが、「後悔」という名になって訪れるなど。

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