人が集まる場所

日々是好日(dairy)


先々日、移住に関するイベントで出会った人たちの会話の中に、「子どもや若い人たちを見据えてのまちづくりをしないと」というものがあり、「ふむふむ。なるほどそうだなあ」と思った。

一方で、昨日観光と地域の共生に関するイベントに行き、質疑応答の中で、「大学移転の地域説明会の中で、『どうしてこんな場所にを移転させるのか(大量の若者を誘致。それに伴い若者者を想定した事業が集まる)。ここは高齢者ばかりだ。もっと高齢者を対象とした街づくりを』と、地域住民からはほぼネガティヴな意見ばかりだったが、どう思うか」という発言があり、「確かになぁ」と感じてしまった。なぜかというと、私自身イベントが始まってしばらくすると、「若者(10代〜30代)、家族世帯を持つ人を想定した話だなぁ」と感じていて、「今の日本には単身40代の居場所はいったいどこにあるんだろう」とぼんやりと思っていたからだ。

それに対して、パネリストの方の中の一人(年配の方)が、「それは自分の希望を言っているんですよね。それと街づくりをどうするかは別」のような発言を返され、「確かに!」と思った。

街づくり、国づくりもどの視点から考えるかで施策は変わってくるのだろう。たとえば、「繁栄」を考えるならば、将来(若者)に投資することはもちろん大切だ。むしろしなければならない。そしてそこから外れてしまう対象については、主には福祉がカバーする分野だろう。国の施策然り、地域の施策然り。だけどそれらは明確に線引きができるものでもない。例えば、現在の就労支援の国の施策についても、一義的には福祉的な色が濃いように見えるけれど、「労働力人口の不足に対する対策」と考えると、「繁栄(もしくは維持)」の為の施策とも見える。もし労働力が不足しない状態だったら、果たしてこういった施策は施行されただろうか。

今の日本では考えられないが、日本の、世界の歴史から見ると、「切り捨て(もう少し柔らかい言葉でいうと繁栄を優先。両者はイコールではないけれど)」は特別なことではないし、むしろ主流だったのではないかと思う。そして現代においても通じる部分はあるだろう。

移住の検討もしていたけれど、現時点では見送る方向性が高い。運転したくない、手に職があるわけでももなく賃貸希望の単身世帯には合う町が見つからず、都市部は単身世帯者に優しい町だったことに気づく。そして「自分の居場所は自分で作っていくか、独りを楽しむかしかないかな」とぼんやりと考えながら、妖怪三国志の国盗りウォーズに参戦しつつ、現実と仮想の異同に思いを馳せながら帰宅の途についたのだった。

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