場の持つ力

ナラティヴ ・カフェ


新コロナの影響で、社会的にはオンライン活用度が増えている。
もちろん私も増やしていきたいと思っていたのだけれど、プロバイダの関係で1日の使用容量が少なく(動画1時間半くらい)、契約変更を検討しているのだけれど、今、多くのプロバイダでニーズ過剰になっていて、いつ変更できるのかの見通しがついていない。仕方がないので、「1日1時間の動画視聴を何に振り当てるのか」を考えながら使っている。

無職の為時間はたくさんある。そして外出はままならない為、本来であれば動画見放題だっただけに、惜しいことをした・・・。だけれども、そこおかげでそれほどニーズも高くない、暇つぶし程度の動画視聴から離れられ、別のことに時間を使うことができるので、怠け者の私にとってはよかったのかもしれない。

そして主催しているナラティヴ・カフェも、本来であれば4月くらいに開催する予定だった為、WEB開催を検討した。だけど1時間で終わるわけもなく、主催者が声だけ参加(場合によっては回線途切れる)になるのはどうなのか、と思い、当面見送ることにした。

上記は物理的な、実際的な理由なのだけれど、実はWEB開催にあたり他にも懸念があった。それは「場の持つ力」をどう捉えるか、ということだ。

今、WEBで言われていることとして、(おそらく前向きに物事を捉えていこうという力も働き)、「WEBで開ける可能性」なる言説を多く目にする。実際にそうだろうと思う。何より遠方からも参加ができ、今まで地理的条件が影響していた集合型セミナー等には新しい可能性がある。

一方で、私自身いくつかWEBセミナーやワークショップに参加してみて感じたことなのだけれど、どうも「私には」あまり合わない場合が多い、ことがなんとなく分かってきた。

■集中して参加できたもの
・You tubeの視聴(一方的に聞くもの。レクチャー系など)

■あまり集中ができなかったもの
・話し合う(語る、聴く、語り合う)系が中心コンテンツ
・静かに内面を見つめたり、自身で取り組むことが求められるようなコンテンツ

後者の理由は、いくつかあるように思うけれど、私にとって一番大きそうだと感じたのは、「場が切り替わっていない」ことのように感じた。自分の部屋で、それまでの日常からそれほど大きな動作なく移行できるWEB環境。便利な反面、「そこに向けて」の状態を整えていく導線が短い。そして開催中もWEBの向こうに広がる世界を感じつつも、一方で今居る我が家も自覚している状態。

また、服装やメイクなども、ラフなものが多く、場合によっては動画画面を切ってOKな場合、ベッドの中で聞いていたりする。もはやラジオ。一方的に「聴く」コンテンツになってしまい、「参加」をするのは難しい。

つまり、「場」や「身体」がもつ力がWEBでは無効化されやすく(だけど別の力が働いていると思うが)、それにより集中が落ちているのかもしれないな、と思う。とはいえ、あまり他者と話がしずらい日常故、「話ができる」というだけでも貴重な機会なのかもしれないけれど。

そんなこともあり、ナラティヴ・カフェも焦ってやる必要もなく、状況が許すようになってからやろうかな、などとのんびりと構えている。

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