娘の役割

日々是好日(dairy)


少し早めに家をでる。
新幹線の時間までは、まだあるので、
スタバでのひととき。

日にもよるんだけれど、「家以外」の場所のほうが、集中して書けるときが多い。でも、レポートなどになると、自宅のほうがだんぜんはかどる。なんの違いなんだろう。

もうすぐ、久しぶりに両親と姉に会うわけで、この時期は、よく家族のことを考える。

18歳で家を出て、それ以外別々に暮らしているのだけれど、両親も、もう高齢だ。介護問題などが一般的に言われることだと思うけれど、このあたり、見なければいけない問題だとわかっていても、正直にいえばみたくない、そんな気持ちがある。

私には姉がいて、結婚をしていて、私よりも遠方に住んでいて、子供もひとりいる。対して私は単身で、身軽な身である。

これだけをみると、私が地元に帰って、両親の面倒をみるのが道理だろう、とも思うが、最大の問題が、「私が人の世話をすることができない」性質だということである。
わかりやすくいうと、「自分のことばっかり」な人なのである。

これは、小さな頃からそうみたいで、将来なりたい職業の話をしているときに、何番目かの候補でうっかり(当時の名称)看護婦さんの、名前を出すと、母から「あなたには人の世話をする仕事は無理だから」「看護とか、介護とか、そういうのは無理だから」と、ばっさりと切られてしまった。

「なんだよ」と思う気持ちもあったけれど、たしかにその通りだとも思っていて、できるとも思えないし、本当にしたいとも思えなかった。

これは、一人が好きで、相手のペースに合わせるのが難しいという性格も影響しているし、私自身が基本的に自分のことは自分でやりたい人なので、「深く介入する」ということ自体に、しんどさを感じる、というのもある。

他人だったらそうだけれど、家族だったら別でしょ、というのもあると思う。でも私は家族でもダメで、決して仲が悪くはないのだけれど(むしろ良好?)、一緒に住むのだけは避けたほうがいいと思っていて、まあ、3日が限度だろうと思う。

そんな私のことを分かっているのか、あるとき姉が、「あんたは好きなように生きなさい。お母さんの面倒は私が見るから」と言ってくれ、「なんてよくわかっているんだ」と驚き、「ありがとう。おねえちゃん」と、心の中で素直に感謝した(妹気質なので、有難く受け取る)。そして、「お金だけはたくさん負担しよう」と決め、だから生活は質素倹約を覚悟している。月1回くらい帰って、顔を見せたり、話しかけよう。

まだそのときは来ていないのだけれど、帰省の時期は、先延ばしにしている問題が頭をよぎったり、それでも残る少しの罪悪感が頭をもたげたりする。

こんな私と正反対に、母は人の世話をするのが好きで、上手で、献身的な人である。地域のご老人のお世話やボランティアもしており、娘のようにかわいがってもらっているらしい。そして、姉は母とは違うタイプだと思っていたけれど、結局は介護の仕事をしていて、おばあちゃんたちに好かれているし、本人も好きらしい。

まあ、すべてがうまくいっているといえばいえるのだけれど、それでも「ちゃんと娘の役割ができない」自分に対して、何も感じないかというと嘘にもなり、かといって「やろうか」と思えるかというと、「ごめん」と心の中で謝る始末。

年に2回の帰省と、イベント毎のプレゼントとメッセージ、
これだけはしっかりとやろうと決めているので、今日からしばらくは
親孝行の時間なり(とはいっても、私がもてなされるのだけれど)。

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