悲喜こもごも

日々是好日(dairy)


一昨日、待ちに待っていた口頭試問の案内が届き、
心臓が、大げさにではなく、大きく鼓動を打ち続けた。








なぜ、1時間半もあるのか。1時間半といえば、「90分」。
90分もいったい何をするっていうんだろう。そんなに話すことがあるわけないだろーーー





20分か、せいぜい30分くらいだと思っていたので、予想外の情報に焦る。




「入力間違いかもしれない。実際は30分としたかったのでは・・・」
「いや、たぶん設定されているだけで、実際は30分くらいじゃないか」
「いや、どんなに長くても1時間だろう。それ以上は次の人の準備の時間だ」
という考えが巡る。実際にそうである気もするけれど、根拠はどこにもない。根拠が欲しい。学校に再度問い合わせてみようかとも思ったけれど、なんだかかっこ悪い。だって、たぶん「書いてある通りです」と言われるだけだし・・・




ネットで調べてみる。「修士、口頭試問、時間」。
私の行っている大学についての情報はなかったが、様々な情報があった。30分説もあるけれど、60分説もあり、「大学や学部によっても違うのだろう」という当たり前の事実に気が付く。




そして、調べる中でもうひとつの大きな事実に気が付く。
「『対策』というものが必要らしい」




どうも、いろいろと質問されるらしいのだ!(←当たり前)
全体の説明であったり、その研究の新規性であったり、などいろいろと。
少なくとも、「多くの場合に質問される、押さえておく部分」というのがあるらしく、その準備はしておかなければならない、という事実。




通信だった為、学友がおらず、このあたりの情報交換がさっぱりだった。
会社の同僚に博士課程に行っている人がいるのだけれど、「口頭試問に落ちる人っているんですか?」と真顔で言っていたので、とりあえず行っておけば、受かるものだと思い込んでいた。




ということで、準備の期間は今週末と来週末のみ。早めに提出したのが裏目にでて、もうすっかり忘れてしまっている。目に触れない場所に隠しておいた資料一式を取り出す日が来た。




論文作成には紆余曲折があった。この辺りは、入学の経緯とも関係してくるのだけれど、2年前くらいに、ようやくテーマが固まった。




「仏教とキャリア・トランジション  -ナラティヴ・アプローチの視点から-」




キャリアの視点から、特に職業人生後半期に起きるキャリア・トランジションに焦点を当て、5名の方のキャリア・インタビューを通じて、そこで起きていることやどのように移行していくのかを、仏教の視点から見つめてみた。




「仏教」を「現代」に活用する場合、「慈悲」や「利他」などがテーマに挙がりやすい気がする。ただ、私自身は仏陀が悟りに至る前に歩んだプロセスのほうに興味があった。その結果としての慈悲や利他だろう、と思ったからだ。




3年前に書いたこんな記事

前後関係はよく覚えていないけれど、自分の中でのもつれの構造が、少しずつ明確になっていく。




ここで書いた、「一度物語の外にでて、再び物語に関与していく」は、論文の主テーマが終わったあとに、少しだけまとめてみた。これが、おそらく今後のテーマ。




こんな長い文章を書いているときではないのに。
そして、こんなときに図書館に予約していた本の到着連絡があったりする。




人生とは、選択の連続だ。
たぶん、ちょっと勉強して、ちょっとぼーっとして、楽観性と罪悪感を繰り返しながら、最後にはすべてを手放して、当日を迎えるのだと思う。

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