空間、好奇心と野蛮さ、信仰など

日々是好日(dairy)


三が日の街の感じが、好きである、

以前、某ファーストフード働いていたとき、お正月三が日の、特に1月1日の早朝から午前少し前くらいまでのお店の雰囲気と客層が、いつもより静かで、一人のお客様が多くて、しかもビジネス前、という感じでもなく、思い思いに読書や一人の時間を過ごしていて、心地よかった。

今日のスターバックスも、そんな感じ。外にはたくさんのグループの人たちが存在しているのだろうけど、この空間は静かで広い。パソコンを触っている人、書類などを読んでいる人、携帯を見ている人、書き物をしている人、いろいろいるけど、9割は一人。

お正月は2日まで実家に帰っていて、まあ、楽しくも幸せで、怠惰な日々だった。お義兄さんが料理が上手で、帰省時には毎回母の台所に立ち、両親、姉、姪、そして私にたくさんの魚料理をふるまってくれる。家族の中で一番の魚好きが私なので、一番のお客様となる。「料理をしてくれて有難いから」美味しいのではなく、本当に美味しいのである。今回も、カンパチとまぐろ2種のドカンとした盛り合わせが私の目の前に置かれたので、ひたすら食べる。みんなに「食べなよ~」と言い、おすそ分けをしながら食べる。途中、隣の家の親戚の叔父さんから、更にお魚の差し入れがあった。サザエとブリである。ブリをその場で食べることになった。すでに頭も落とされ、3枚くらいにおろしてあったのだけれど、小さな切り身に分けるとき、お義兄さんが「筋肉が!」と大きな声を上げる。みんな集まる。見ると、ブリに包丁を入れると、神経反射のようにぴくぴくと身が動く。メカニズムは分からないけれど、まだ絞めてすぐだかららしい。

母も姉も姪っ子も私も、4人でその様子をじっと見つめる。こういうのが「好奇心」っていうのだと思う。たぶん、5人の誰にも罪悪感や悲しみを共有する心は、なかったと思う。私の中にもなかった。ただ、頭に中では考えた。「既に生命はそこには無いとはいえ、身体を切り刻むことで不思議な動きをする物体を興味深く見たり、好奇心をもって眺め、発見に喜ぶことは、残酷なことなのだろうか」。

人間の身体がバラバラにされ、その一部を切ったり刻んだりするときと同じ状況だろう。解剖と似た状況かもしれないが、本人同意があったり合法的な解剖であれば残酷さは感じないけれど、もしそうでない状況であれば、感じるだろう。不思議である。まずは、そこに「生命があるかないか」があり、たとえ「生命がなかった」としても、行為の文脈によって、感じ方は変わっていく。

「残酷さ」と「好奇心」は、おなじ情景をさす場合も多いような気がしている。小学生の頃、もう一つの隣の家のおじさんが、一緒に遊んでいた私たち(隣の家の姉、弟と私)を呼んだ。枯葉を燃やして焚火をしていたのだけれど、そこに捕まえた蛇を入れ、火であぶって殺そうとしていた。それが面白いから見るように言われたのだ。蛇はものすごい速さで体をくねらせ、悶えていた。私は驚き、瞬間「止めて」と思ったが、言えなかった。おじさんもふくめ他の子どもたちは笑っていた(ように思えた)。そのとき私は、一部蛇の痛みを共有していたと思う。苦しく、痛く、見ていて気持ちが悪かった。そしてそう思うと同時に、悶える蛇から視線を離すこともできなかった。今まで見たことがない動き。苦しいとき、生命の最後のとき、苦しみの中で命を奪われるとき、火であぶられるとき、こういう動きをするのか。痛みへの共感と好奇と、両方の目。

次第に蛇の動きは鈍くなり、動きが止まり、最後は黒焦げになっていた。すべては終わり、元に戻った。「祟りがある」と思った。悲しみを感じるなど、何の価値もない。私は見ていたのだ。何もせずに、何も言わずに。怖かった。同時に、自分だけは違うとも思っていた。私は蛇に謝り、成仏をするように祈った。

このエピソードには、背景として、「家を守る蛇神信仰」も影響していたと思う。実際我が家には、小さな頃から大蛇が住み着いており、家の守り神だと言われてきた。夏になると一度は出会った。私の一番苦手な動物が蛇だった為、感謝する気持ちと、出会いたくない気持ちとの両方があった。私にとって蛇は特別な存在で、他にもいくつかのエピソードがあり、畏怖の対象だった。

後年この家は、息子さんが若くして事故で亡くなり、おじさんは何かの病で動けなくなり、すべての機能が少しずつ落ちていき、亡くなった。その各々で、「蛇のたたりだ」と一瞬思った自分がいる。こういう考え方は、因果の理論で人を縛ることになるので、危険であることも分かっている。それでも、一度は頭に浮かんできた。

ああ、明るく楽しい話をしていたのに、なぜこんな話になってしまったんだろう。ちょっと重苦しくなってきた。

話を戻すと、半年ぶりの実家は、賑やかで楽しく、幸せな時間だった。でももちろん、それが短い時間だからである。自分の家に、部屋に戻ってきたとき、なんともいえない安堵があった。ひとり、静か。シーンとしていて、心地よい。

みなさま、本年もよろしくお願いいたします。

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