雑談が苦手、の仕組み

日々是好日(dairy)

@タリーズ
今日は仕事は休み。

わたしは、雑談であったり、知らない人と話すのが苦手で、
周囲にも伝えている。

まったくできないわけではないし、
好きな場合もある。
総じて、苦手、という意味。
やろうと思ったらできるのだろうけど、
エネルギーを消耗するので、長時間は難しい。

どうも、印象からはそうは見えないようで、
嘘でしょ、といわれることも多い。

どんなシチュエーションが苦手か
挙げてみたい。

・飲食をする場であること
・多数(だいたい6名以上くらい?)であること
・知らない人と、知っている人が混在している場であること
・あまり接点がない、知っている人たちが集まる場であること
・30分以上の時間で構成されている場
・「楽しむ」ことが目的の場
・新幹線で隣になったり、旅先で出会った人と、3分とか5分以上会話が進むとき

思いつくのは、こんな感じ。
逆に、苦手意識があまりないのが、

・ある目的によって集まっている場(学習の場など)
・1対1での飲食(あまりよく知らない人でも大丈夫)
・何かの目的があって、そこに向けて話したり、話し合ったりすること(主に仕事関係全般)
・全員知らないひとたち

最初に意識をしたのは、20代の、職場の同僚(女性たち)との、
業務後のおしゃべりのための飲食の場。

そこで繰り広げられる話にまったく興味がもてず、
(仕事の話であれば楽しいけれど、それ以外はあまり共通点はなかった)
話がいろいろと行きかうので、焦点を合わせて話をすることもできず。

場を乱したらいけない、と、顔に出さないようには気を付けているものの
楽しくないのに笑ったり、相手に合わせることが元来苦手なので、
ひどいときは、むすっと黙っている、という結果にもなり、
早く終わらないかな、とずっと考えているという・・・

お金を払って、時間を払って、我慢をするって、
どういうことなのだろう、と思い、
あるとき、どうにも我慢できない日があり、
このままでは、自分にとってももちろんだけれど、
みんなにとってもよくないだろうと思い、
「体調が悪くなったので、帰るね。ごめんね」という
大人の嗜みをもった嘘をついて、はじめて帰宅をした。

これがもう、すっきりとして。
もういいや!と、割り切った出来事だったと記憶している。

それ以来、
このようなシチュエーションにおける嘘をつくことへの罪悪感がなくなり、
(実際に体調が悪くなるから、嘘ではないのかもしれない)
次第に、不参加に理由など必要ないことに気づき、
「さわやかに帰っていく」のスキルを身に着けた。

そうこうするうちに、そのような場にできるだけ行かない
(そもそも、外食がそんなに好きではない。小さい頃から)と決めて、
歓迎会と送別会、忘年会だけに絞り、
「1次会だけ、仕事と思って参加をするぞ」と決めると、
比較的苦も無く、帰りたい、という思いもわかず、
楽しく参加をすることができた。

プライベートの時間だと思うから、
なぜそこで我慢をしないといけないのか、と思ったのだけれど、
仕事だと思ったら、割り切れるらしい。
ご飯を食べる仕事。そして1時間は時間限定、短時間。

あとは、できるだけ少人数(できれば2人)で
食事に行くようにした。
これだと、対象が1人に設定されるので、
自分のポジショニングもつかみやすいし、
きちんと相手との会話ができる。

そして、今の会社になると、
かなり自由な会社なので、
歓送迎会にでさえ、参加を圧迫するような空気はなく
(とはいえ、ほとんどの人が参加をするのだけれど)
なので、基本的に何にも参加をしない、という方向性になったしまった。

これには、最近弊害も感じるようになって、
誰がどんな人か、あまりよくわからなくなってしまった。
少し、雑談とか、目的のない集まりの場、の意義を感じ始めたので、
食事場面以外で、いろいろと話せる場があればいいのにな~
と思うことがある。

雑談の苦手さは、もちろん食事以外の場面にもあって、
仕事で企業に訪問にいったときは、雑談をほぼせずに、
すぐに本題に入ってしまう。

では逆に、雑談が盛り上がる、楽しいときはどんなときかというと、
自分と仲の良い人たち(友人、職場でも)とのもので、
もちろん、食事なども楽しい。

12月がやってきて、忘年会のシーズン。
今年も私は不参加で、
さわやかに挨拶をして、帰宅をするのだけれど、
いろいろな人の輪の中に、自然に入る能力がある人をみると、
いいな、とも思ってしまう。

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