日々是好日(dairy)

言葉への抵抗

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特に今の仕事についてから、「褒める」「支援」という言葉に抵抗を感じるようになり、ある程度の整理はできているものの、いまだに少し残っている(「支援」はほとんどなくなったかも)。




どういう文脈で抵抗が発生するかというと、前者については、支援の方向性の話し合いで、「どんなことでもいいので褒めていきましょう」という発言があったり合意形成がなされたときや、支援内外問わず、「人って褒められると嬉しいですよね。自己肯定感が高まるし」などの言葉が行き交うとき。後者については、自己紹介をする際に、「支援の仕事をしています」というとき。伝える前に一瞬躊躇をしてしてしまったり、言葉を濁して伝えてしまうことがある(たとえば、「支援みたいな仕事」とか、「サポート的な」とか、「とはいってもたいしたことはできていないんですけどね」とか)。




褒めることの重要性は理解できるし、私自身褒められると嬉しい気持ちになることも多い。支援の仕事だって、ただそういう名前がついているだけで、それ以上でもそれ以下でもないのに。自分や自分の行動と関係ない場面で使われる分には、何も思わない。




ついでにいうと、心理学の用語もあまり好きでないものも多くて、「トラウマ」とか「消去」とか「弱化」とかは、使うのに抵抗がある。後者2つについては、聞くのも抵抗がある(どきっとしてしまう)。でも、私だって自然としているのに、この2文字の言葉が当てはまると、抵抗が生まれる。これらだって、そのメカニズムに言葉を当てはめているだけだろうし、共通で使用できる用語がないと不便だから、必要性は理解している。




◾️抵抗が生まれる言葉
     他者に対して使うとき  自分に対して使うとき 
レベル高 褒める           
     消去、弱化
レベル中             支援(以前はレベル高)
※「トラウマ」は、語感がもう少し変わればいいな、と思っている




どういった対策をするかというと、あからさまに抵抗の態度を表してしまうときもあるけれど、できれば避けたいと思っていて、いいかんじで自分が受け入れられる言葉に変換できればいいな、と思う。例えば、「褒める」だと、「いいなって思う部分があったらそれを伝えてみますね」(「どんなことでも→いいなって思う部分」と微妙なすり替えを行なっているのだけれど、、、)だったり、「消去」とか「弱化」だったりすると、「じゃあ、あまり反応しないでおく感じですね」とか。




「褒める」という言葉へは、自分が本当はすごいなと感じていなくても、言わないといけないようなイメージをもっていて、そもそもすごいと思う閾値が私の場合狭い気がする。偏りがあるというか。「支援」という言葉については、そこの紐づく自分の中でのイメージが「相手の幸せや満足を第一に考えて動ける人」なので、「わたしはそんな人ではありませんよ」という、期待に応えられませんよ、という気持ちの現れなのかもしれない。「消去」とか「弱化」はなんだろ。語感のきつさや、「褒める」とも関わってくるけれど、それが目的となって関られることへの嫌悪感や悲しさ、憤り、みたいなものと紐づくのかもしれない。「作為とかいらないよ。そのままでいいよ」という憧憬(でも、自分だって作為的なところはあるのに)




例えば、「すごいですね」など言われるとき、「何をすごいと思ったのかな?」と考える。聞いてみると、相手なりの答えが返ってきたり、場合によっては言葉がない場合もある。反応的に発しているのかなと思う場合、言葉にはまとまらないけれどすごいと思った気持ちを伝えたいのかなと思える場合、相手に(ここでは私に)いい気持ちになってもらいたいと思い言っておられるのかなと思う場合、それはそれで、そうだろうな、と思うのだけれど、だから私がもっと頑張ろうと思ったり、相手への好意が増すかというと、あまり影響はないと思う。でも、感謝の気持ちは生まれる。具体的だったり、限定的な言葉があると、相手の理解に繋がる。「ああ、そこわたし拘ったところなんだよ」というところに気づいてくれたり共有できると、嬉しい気持ちになる。以前職場で、期間限定で「褒め合おう大会」なるものがあり、日々の同僚の行為で素敵だなと思ったことをカードに書いてBOXに入れ、最後に開封し、一番多く集めた人を祝おう、集まったカードをみんなでみよう、なるものがあった。とてもわかりやすい試みだな、とは思ったけれども、私にとっては拷問だった。。。




話が変わって、「防衛反応」とか、それに類する言葉も以前はどきっとしていた。まあ、とはいえほとんど誰にでもあるメカニズムなので、そのあたりが腑に落ちると言葉への抵抗は薄まっていく。ただ、思うのだ。もっといろいろな表現はできるのではないかな、とか。この部分で勉強になったのは、井上ウィマラ先生が編集された『仏教心理学キーワード辞典』の中でのウィマラ先生の項目で、人の傲慢さを含めた弱さの表現が、目をそらすわけではなく、受容的で秀逸だと思った。論文もそうだけれど、人間を見つめる眼差しが暖かい、というのは、こういうことを言うんだろう。私は自分にも、他者にも、はっきりとそれを突きつけたくなるので、このあたりは今後のテーマだろうな、と思う。変わらないかもしれないけど。




ああ、そうだ。「承認欲求」という言葉にも疑問に思うところがあるのだけれど、これはまたいつかの機会に。
なんだか、うまく整理できた感じがしないな。

-日々是好日(dairy)

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