ここ数日、ふとした瞬間に悲しみ、痛みがやってくる。京都アニメーションの事件は、同じ京都に住む私にとっては、身近な出来事だった。もう出火からだいぶん時間が過ぎた午後になって知り、そのときは亡くなった方は1名とのことだったが、消息不明者の数の多さに、嫌な予感はし続けた。そしてその夜、予想を遥かに上回る大きな事件となったことを知った。翌日、同じ職場の人が、ちょうどそのときその場の近くにいたようで、煙に包まれている空を目にしたことを知り、なんともいえない気持ちになった。
私は最近のアニメは見ないし、京都アニメーションのアニメなり映画なりをきちんとみたことはない。だけど評判だけは聞いていたし、そんなすごい会社が京都にあるんだな、と思っていた。アニメに関する個人的な深い思い入れはないけれど、この亡くなり方に、圧倒的な、やりようのなさを感じる。日常に突然、脈絡もなくやってくる、暴力性。人はそこから自分の身を守ることはできない。ただ巻き込まれていく。いつも、どこかで隣り合わせにあるそれの存在を、まざまざと見せつけられたようだった。
こういった世の中に生きているということを改めて自覚させられたと同時に、この件を引き起こした様々な要因を、その複雑な因果関係を、日常少し視野を広げて見てみると、確かに存在をしている「それ」は、できれば目を背けたいものなのだけれど、目を向け、自分なりにできることはあるのだろうか。
羊毛フェルトをしていると、熱中をしてしまうので、こういったときの対処としてはちょうどいい。
残る人の悲しみは、いかばかりか。
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