今日は、佛教大学の一般講座に初めて行った。
1回千円で、1時間半。とてもリーズナブル。
「芭蕉の俳文(短編)を楽しむ」
芭蕉が、「内なる声」に対して誠実に道を歩んだ話が印象に残った。
・俳人として身を立てることを決意したとき
・江戸へ行き、宗匠の道へ進んだとき
・その身分を捨て、点取俳諧から身を離し、深川に隠遁したとき
芭蕉は、自分が「乞食の翁」であることを自覚し、「人生」を、その詩の中に詠んでいくようになる。そして旅へ。
旅は、芭蕉の作風を変えた。観念的な句から、目に移るものの中に、様々なものを織り込んでいくような作風へ。そして、「古池や」の句が生まれる。和歌から連綿と続いてきた刷り込みから離れ、「蛙」を「鳴」かせるのではなく、池へ飛び込ませた。
須磨、明石まで行った「更科紀行」は、豊かな旅だった。
しかし、再び内なる声がする。
陸奥へ。西行やそれに連なる人たちが、命を賭けて行った道。
住んでいた庵を譲り、旅を住処とすることを決めて出発。
「拙者 浮雲 無住の境界 大望故 かくの若く 漂白いたし候」
「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」
51歳で永眠。お墓は滋賀の義仲寺に。
晩年、芭蕉の作風は更に変化をしていった。
日常の中にこそ、詩材があること。人々の普通の暮らしの中にあるそれを、映し出していくこと。「軽み」の境地。
内なる声に従い、もっているものの手を放して、そのときどきの自分が真に求める方向へ進んでいく。
こういった話を聞くとき、自分の中にどうしようもない羨ましさが湧き出でてくる。手放せないのだ。手放さないのだ。憧れて、焦がれるのに、できない。
同時に、それは、それほどまでして追いかけたいものに、出会えていない悔しさかもしれない。
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