「反応的」

日々是好日(dairy)


瞑想コースから帰ってきて3日。

刻一刻と「従来」に戻ってきているけれど、「反応」だけは、まだ、意識を保てている。初日は、脳の活動量が増えると頭が痛くなってきたので、できるだけじたばたしないようにしていた。2日目くらいから徐々に日常に戻ってきたのだけれど、そんな中、自分に起こる「反応」を見つめている時間がいくらかあった。

「話したい」「意見を言いたい」「伝えたい」「・・・」。そんな欲求に突き上げがれて、反応的に言葉がでてきそうになる。周囲や自分の状況を静かに見つめることもできれば、出そうになる言葉に気づいて止めることもできれば、出てしまったこともある。言わなければ何か仕事に大きな影響が及ぼされるかというと、そんなことはない。ただ、そのときの瞬間の自分が満足はする。場合によっては、一瞬の満足の後、不満足になるときもある。そして、そこにはけっこうな量のエネルギーが使われていた。

「止めた」とき、その一瞬は自分の自然な流れと逆向きのことをしているので、少し窮屈だが、しばらくすると、「言わなくてよかったな」と思う。いくつかの理由はあるが、「疲れない」ことはとても大きかった。省エネ。エコ。

同様に、自分が関わる必要なないことに目を向け、それによりイライラしたり、不満を感じたりしそうになっていることにも気づいた。「『私』がこの点に対して考えをもつことは、必要なことなのだろうか」。「誰かがそれを望んでいるのだろうか」。そんなことを考える。けっこう、誰も望んでいないことだったりもした。単に「私」の目についただけ。そこから手を離すと、それもまたエコとなり、疲れない。

でもたまに、従来どおりそこに入っていってしまうこともあった。それは別に悪いわけではないけれど、「良いこと」であるわけでもない。

本当に集中すべきことは何なのか。考えるべきことは何なのか。人のエネルギーの総和が決まっているのだとしたら、それをどこに向けていくのか。

外に目を向け、反応的にその領域に対して関わっていこうとするとき、それがそういった姿勢であったとしても、発言であったとしても、「自我」っぽいやつが確かにあった。多少傲慢ともいえる。ちょっと、嫌な感じのするもの。

「従来」よりは、少し静かに過ごしている。在り方は、まだまだ模索中。

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