継続すること

日々是好日(dairy)


子どもの頃から、継続することに苦手意識があった。

飽き性なので、勉強も習い事も、思いついた後のとっかかりは早いものの
そんなに長くは続かなかった。
勉強は、そもそもそんなに好きではなかったけれど、テスト前に少し勉強をしたら、そつなくほどほどの成績をとってしまうので、「ふふっ」と思う反面、「なんだかなぁ」という気持ちもあった。
習い事は、一番長く続いたものでピアノがある。小学生のときに一度辞め、中学3年のときに再開し、高校卒業まで続けた。でも後半は、ちょっと怠惰になっていたかもしれない。習字もサッカーも水泳も、それより短い。
部活は辞めずに続けたけれど、一生懸命にはやっていない。英語クラブは年に一度の英語劇以外はほぼ遊んでいたし、弓道部は、部室でのんびりコーヒーを飲むグループに入っていた。

飽き性でもあるけれど、そもそも怠け者でもあるのだと思う。「一生懸命頑張り続ける」ということが苦手で、瞬発力はあるけれど・・・という感じ。楽に、易きに流れてしまう。

受験でさえ、「頑張る」ことをしなくてよい「A判定」の大学に絞って受けた。絶対に合格するところ。「C判定」なんてもってのほか。浪人はできない。受験代がもったいない。

でも、そんな自分に課題を感じていた時期もあった。「なんで、今の自分だと手が届かないけれど、行きたいところ、目指したいところ、ほしいもののための継続した努力ができないんだろう」「どうして、手に入るものでよしとしてしまうんだろう」など。「頑張って、それでもうまくいかなかったときが怖いのかな」とも思ったり。

その傾向が今も続いているのか、考えてみたのだけれど、基本的には続いているような気がする。会社や資格の試験などが目の前にあると、「思いっきり努力」ではなく、「そこそこの努力」で済ませ、それで手に入らないなら「もう、いいかな」と思ってしまう。ある意味諦めが良いのだけれど、「社会的な何か」「権威的な何か」「身分的な何か」をつかむための努力は本当に苦手。

ただ、社会的に、権威的に、身分的に「役にたたない」ことを頑張るのは、けっこう好き。仏教も、いろいろな勉強も、ブログも、ワークショップも。

ブログなんて、ほとんど何の役にもたっていない。何かの目的のためにブログを書いている人は別だけれど、私の場合、ただ書きたいから書いているわけで。読み手はもちろんいるわけだけれど、誰が読んでいるかわからないし、そこに向けて書いているわけでもない。けれど、10年以上続いているので、これはもう「継続している」ことと言っていいと思う。きっと好きなんだな。もし書かなくなったら、私の人生はどんなに味気ないものになるだろう。誰に読まれるのかまったくわからないけれど、インターネットの広い空間で繋がっている誰かと、「たまたま」何かを共有しあうのかもしれない。しあわなくても、それでもよい。

学歴だったそうだ。「密教学修士」の学歴が追加したところで、わたしの人生に何か付加価値が加わるかというと、うまくいけば「おもしろい人」、普通に考えると「変な人」、場合によっては「怪しい人」だろうか。少なくとも仕事にはまったく役に立たない。昇給にも、昇進にも、評価にも、全く影響がない。影響するものには、興味がなかったりする。

役に立たないものを好むのか、興味を感じるものが世の流れから外れているのか。どっちなんだろう?

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