「物語る権利」

人生(life)


終わった終わった。




今日は、会社内の某所にて、Tree of Life のワークをしてきた。
昨日今日と調子が悪く、始まる前までは頭痛もひどかったけれど、はじまれば、忘れてしまう。




内省型のワークのファシリテーションは、自分の性に合っているのだろうな、と思う。体調も良くなるし、気持ちもリセットされるし、すべてが知らない間に整っていく。それほど努力も、力もいれずに、できてしまうところも。年々力が抜けていく。




すでに何回かやったことがあったので、資料は完成していたのだけれど、昨日、突如変えたくなった。『ふだん使いのナラティヴ ・セラピー』の「物語る権利」のページを読みながら、ふむ、これでいこう、と。ぎりぎりまで変え続けるのも苦ではないし、もちろん当日も、その場で変えていくのが醍醐味でもあるように思う。




ワークの中盤、わたしはとても暇だったりする。みんながツリーを書いている間、質問には答えるけれど、他は特にすることはない。よけいな影響を与えてしまわないよう、邪魔をしないことを心がける。シェアタイムで、みんなのツリーを眺めたり、その語りを聞いていて、ああ、ほんとうにいいワークだな、と改めて思った。




「物語る権利」は、自分の物語だと思っていたものが、実は他者や社会の影響のもとに作られたものではないかと疑う。そして改めて人生を見つめ直してみて、自分の言葉で自分の人生を語る権利を取り戻そうとする。個人的には、それは最終形態ではないと思っているけれど、とはいえ、まずはここを通らねば、というのには、深く同意をする。




自分や自分の人生を、様々な問いを立てて改めて見つめ直す時間は、とても貴重だと思う。同時に、それについて語るとき、肯定も否定もせず、ただ耳を傾けてくれる人がいる、という時間もとても貴重。




明後日は、ナラティヴ ・カフェ
また、今日とは違った感じになるんだろうな。







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