「第3の仕事」 

人生(life)


お盆休み中に、かねてより考えていたminneさんのサイトアップを試みた。

今までも羊毛フェルトについては何回か言及してきたけれど、今のところ心が離れていく様子はない。それよりも、もっともっと作ってみたいものが頭の中に生まれてくる。

現実的な私の仕事は、本職があり、副業はキャリアカウンセラーで、なのだけれど、この「第3の仕事」は、なんて名付けたらいいんだろう。趣味に留めておくことも考えたけれど、「仕事」の色をつけることで、なんとなく楽しくなるから面白い。

「仕事にすると面白くなくなる」「だから趣味のままで」という言葉を何度か耳にしたことがあるが、それはそれでなるほど、と思うのだけれど、「仕事にするから、より楽しめる」というのもあるように感じる(ここでの「仕事」は、「顧客との関係性において生じる」という意味)。

思い返すと、私のキャリアの道のりもなかなか面白みがあるなあ、と思う。就職活動はバブルが弾けた後の超氷河期と呼ばれた年で、いまだにあの年の就職率を下がってはいない様子だ(データ)。今の就職活動の環境とは異なり、インターネットが少しずつ普及をしてきていたが、まだ「紙」が中心の時代だった。「これからの就職活動は、パソコンがいるらしいよ」ということを耳にし、購入したような気がする。大学の図書館にも、ようやく貸出し用のパソコンが用意され、たまに閲覧をしていたが、使いこなせてはいなかった。

企業が、軒並み採用を抑制していたので、なかなかの激戦時代だったと思う。漠然と、「出版社」で働きたいな、と思っていたけれど、その年はほぼ採用がストップで、唯一「講談社」だけが、若干名の募集をしていた狭き門だった(最終試験の一つ前までいくことができたのは、とても良い思いだ。でも本当は、新潮社、創元社、早川書房に行きたかった…)。
周囲の人の活動状況はというと、法学部だったからかもしれないが、公務員を目指したり、弁護士などの資格取得を目指す人が多かったように思う。同じサークルに所属する同期たちは、氷河期にも関わらず、男子学生の半分くらいが大手企業に合格した。大学の偏差値は決して高くはないものの、「元気がある学生がいる」という評判がある大学で、就職活動には有利だった。

いま、この超氷河期の時代に就職活動をした人たちを対象に、政府が新しい施策を打っている。実際その対象の時代を生きてきた自分としては、当時「不遇」の感覚があったかというとそれほどでもなく、「仕方ないよな」と自然と受け入れていたように思う。

私は幸いなことに、何度も転職をしたけれど、何らかの職にはつき、生活をすることはできた。そしてその過程で、本職とは別に、「自分で何かをする」キャリアに道を見出していた。いくつかの仕事をしたことがあるが、一番最初に自分の名前で業務委託の契約書を締結したとき、責任を引き受ける怖さとともに、喜びもあったことを覚えている。やってもやらなくてもどちらでもよく、自分の意思決定で仕事に取り組む、というのが、合っていたのかもしれない。また、「会社」の色を気にする必要はなく、自分の考えで委託元、雇用主、顧客の意向を聞きながら進めることができるのも、面白さを感じる理由の一つだったと思う。

そんな複数のキャリアが絡み合いながら進んできたのが私のキャリアであり、これからも続いていくような気がする。きっと「ひとつ」じゃダメなんだろう。(もしかしたら、ロスジェネ世代のこんな特徴に、知らず知らずの間に影響を受けているのかもしれないけれど)。

そう考えると、この「第3の仕事」は、私にとっては初の出来事であり、なんだかとても面白い。第2の仕事のポジションに繰り上がりそうな気もするけれど、「第3」というのは、単純に「3番目」というよりは、サードプレイス的な、それ独自の意味が生じるような気もしている。

ということで、アトリエ ノア(minne)
よかったら、閲覧してくださいませ。少しずつ、作りためてまいります。

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