キャリアの主体性問題

人生(life)


ここ数年、考えていた問いのひとつ。
「キャリアに主体性は必要か」
(私の中では、キャリア=仕事を中心とした生きていく道、という意味で使っています)




ここでは仮に、「キャリアの主体性」=「自ら(自分が思う自分)の意思・判断によりキャリアの方向性を決定し、進んでいくこと」と定義してみる。




イメージとしては、既存の情報から自分用のマップを作り、どこへ行くかを決め、行く方法も考え、進んでいく感じ。




キャリア相談では、
・何に興味があるのですか
・何がしたいのですか
・どんな形で社会に関わりたいのですか
・何ができるのですか
・どんな能力があるのですか
・何が得意ですか
・どこを目指す(したい)のですか
・何を大切にしたいのですか
などが、よく質問されると思う。




とても大切な質問だと思うし、
私自身こういった問いを考え、試し続けてきたけれども、
徐々に興味が惹かれなくなってきた。




その理由のひとつは、すでに何度も考えていることで、
自分にとっての新鮮味があまりなくなってきたこと、
もうひとつは、「私」の限界が見えてきた、ことである。




前者については、新たな切り口の質問や視点を考えたり、
「初めての経験」をしてみることで、払拭できるかもしれない。
後者は、前者とも関わりがあるけれども、それとは別の、とする。

「私の限界」=「自分が考える自分というものへの限界」の感覚は、
「私」に対する疑問でもあった。

たとえば、
・他律的
・利他的
・偶発性
によるキャリアや生き方なども多いし、100人100様で、
どれがいい、悪いなど、いえない。




では、
「どんなキャリアの築き方でも、すべてOK」
と言ってしまえるか、というと、
あまりにも乱暴で、不満足に感じる人も多いだろう。




ここから先は、今の私が考えていることだけれど、
選べるのであれば、まず最初の入り口を、
「自分メガネ」をかけて歩いていくか、
「他者(人や社会)メガネ」をかけて歩いていくかは
とても大切だと思っている。




これは、その人の傾向性が影響をしていて、
特に、いずれかへの傾向性が強い場合は、
合わないメガネをかけて入ってしまうと、
そんなに遠くないタイミングで不全感が生まれ、
どこかでメガネをかけ直さないといけなくなる。
これが、第一の門。




しばらくすると、順調だったその道にも、
不全感が生まれる可能性がある。
これが第二の門。
そのときは、もうひとつのメガネをかけてみるのも、
ひとつの手段ではないかな、と思っている。




突き詰めれば、どちらのメガネをかけても、
歩いている道は一緒だし、
2種類のメガネも、「メガネでしかない」と考えると一緒だし、
相互の道は関連しあっていて、実はどちらの道も歩いていた、という
ことになるのかもしれないのだけれど。




置かれた環境が、「メガネを選べない」場合もあると思う。
そこは、社会的な課題。




問いに対する結論としては、
キャリアに主体性は大切であるし、ないことを経験するのも大切だし、
自分を知ることも大切で、
でも、そんなことを考えなくても大丈夫かもしれなくて、
最終的には、思うように生きたらよい、という
やっぱり乱暴な結論になる。
(あくまでも、今の私の結論です)

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