人生(life)

節目にあって思うこと

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12月がやってきた。
私にとっては、振り返りの月。




1年が閉じていく、そういう空気がとても好きだ。
そして、新しい年がはじまる1月も、もちろん好き。




12月になると、10年以上、ほぼ毎年
ある会に参加をして、1年の振り返りをしている。
今年も、今週末にある。




ここ数年は、わたしにとって移行期間で、
今もまだ、そしてこれからもう少し先まで
まだ継続するのだろうな、という気がしている。




それは、様々な変化をきっかけに、
模索の期間、停滞の期間、勉強の期間など、
いろいろな表現ができる期間だともいえる。




「抜け出したのかな?」と思うときもあるけれど、
そんなにたやすくはいかない。
そもそも、「抜け出す」という言葉は、
移行期の適切な表現ではないようにも思う。




そんな中で、人は試行錯誤を繰り返しながら、
諦めることもあれば、受け入れることもあれば、じたばたすることもあったり、とりあえずの何か、に手を伸ばして、ということをしていきながら、
進んでいくのかもしれないな、とも思う。




仏教系の大学院に入ったのは4年前だけれど、
最初は何を研究したいのか、自分でもよくわからなかった。
3年目くらいに、ようやく腑に落ちるテーマに行き着き、
一応は完成し、それで終わりと思っていた。




でも、その中でのひとつひとつの取り組みが、
実は自分にとっての長期的な意味があるかもしれない、という
繋がりに気が付くと、よくできたものだな、と感嘆する。




というか、いつも近くにあって、
毎日そこを通っていたじゃないか!という感じ。
自覚できていなかったのは、わたしだけかも。




20代は、仕事を一生懸命して、
30代前半は、好きなこと、やりたいこと、試したいことを思い切りやった。




30代後半は、再び仕事に視点が戻ったけれど、ある意味、「仕事のような」「遊びのような」実験をたくさんさせてもらったときだった。
それが終わり、この移行期に入り、大学院にも入り、たぶん今年卒業し、
「もう、いいかな」とも思っていたんだけれど、
なんとなく、次にやってみようと思うことが、思い浮かんできた。




どうなるのかな?
まだ、全然わかんないんだけれど。
思いつきは、思いつきでしかない。
この年になると、自分や自分の気持ちさえ無邪気に信じることはできなく
なってしまったけれど、
信じる必要なんて、多分無いんだろうな、ということも分かってきた。




今週末の私は、どんな振り返りをして、どのように言語化して、
次をどう語るのだろうか。

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