福岡伸一『動的平行』『動的平行3』

日々是好日(dairy)


最近、福岡伸一さんの本を読んでいる。

以前一度、『福岡伸一、西田哲学を読む』という本を買ったことがあるのだけれど、そのときはどちらかというと「西田哲学」に惹かれていた。

その後しばらく疎遠となり、先日友人と話していた際にオススメをされ、代表作の「動的平行」から様々に読み進めている。

読んでしばらくすると、「ああ、これは私好みの考え方だな」と感じる。福岡さんのリズムのいい、感性溢れる筆致や表現はもちろんなのだけれど、そこで述べられている概念的なものが、私好みのものが多いのだ。

生命のいろいろなもの、細胞や分子、神経やメカニズム、記憶や欠損、補ったり、そんなこと。考えてみると、今私のこの身体の不思議だ。同じように見える皮膚表面も、常に移り変わっている。「保っている」と思っている記憶も、定かではない。口に入れたものがどういう道筋を辿ってどう変質をしていくのか、判明している部分もあるのだろうけれど、そのすべては(たぶん)解き明かされることはない。

「動的平行」の概念は、おそらく人の生命活動を超えた様々な箇所に共通の概念を見出すことができるけれど、「生命」の中で見られる具体的な動きは、知識がほとんどないだけに、素朴に面白く感じる。特に、『動的平行』か『動的平行3』の中で述べられていた「記憶」に関する記述の部分は、仏教の十二縁起なども想起されてしまった。うーん、どうなっているんだろう。

あと1ヶ月で仕事も終わるけれど、コロナ騒動がやってきて変化は大きい。予定通りに進まないものも多く、でもそれも仕方ないなと思えてしまう。こういった事態が生じると、如何に従来の活動が「人との集まり」に関係していたかがよく分かる。とはいっても人間もよくできたもの。集まるのがダメならダメで、できる「暇つぶし」を思いつく。

最近は、暇つぶしというわけではないけれど山を歩き続けている。なんだか不思議な感じで、以前のような「しんどさ」が少ない。何が変わったのだろうか。ただ歩く。そうすると、実は今まで歩いていなかったんじゃないだろうか、という気持ちにもなる。

ついつい外に向きがちな意識を足元に向けてみる。そして、今日はエアコンの埃が溜まっているのを見つけたので清掃をしてみた。たくさん、たくさん、埃が落ちた。




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