この「9月」という月。
そういえば引っ越していた月だったな、と思い返し、当時のblogを読んでみた。
ちょうど京都最後の日々を過ごしていた頃のようで、あと1週間くらいで20年以上住んだ京都を離れるというタイミング。
そして引っ越し先の我が家では段ボールを机にして数か月過ごしており、今この文章を自宅の机で書いていることを思うと、1年という時間が積み重ねられてきたのだなと思う。
なんて殊勝なことを思おうと思えば思えるのだけれど、そこまで深刻でも感慨深くもない。ああ1年がたったのだな、ということである。
先週末、2度目のワクチンを打ちにいった。1回目の副反応が強く、いったいどうなることかと思ったけれど、高熱、全身の痛みはまる2日で終息した。ただあまりにも身体がきつかったので、3回目はご勘弁を、という気持ちだ。副反応が長引いたときのことを考え、夏休みを合わせてとってみた。特別な何かをしたわけではないけれど、今日は所用で元町に行き、数日前から初めたドラクエウォークをする過程で南京町に辿り着き、朝早いにも関わらず行列ができていた豚まん屋さんが目の前に現れ、朝ご飯は既に食べていたので悩んだけれども、夏休み記念に食してみることにした。
そして、1年を通してこの地で過ごしたことで気が付いたことがある。(特に我が家で)気持ちよく過ごせるのは断然夏、そして夏の前後。だけれども空が一番美しいのは冬、そして冬の前後なのである。夏の空も抜けるような感じの美しさがあるのだけれど、グラデーションに色づく美しい空や海。いよいよあの季節がやってくる(そして極寒の地となる我が家では寒さに打ち震える日々もやってくる)。
短歌のほうも、この休みの間に歌会始への応募を無事終えた。清書まで書き上げた後、漢字間違いに気づくミスもあった。
うたよみんで投稿したいくつかの歌を。
緑覆う旗振り山の峠道土踏み分けて進みゆくなり
土の中白き勾玉眠り待つ甲背負いて飛びゆきたまえ
踏切の点滅信号チカチカチカ小雨振る朝朧に瞬く
痛む腕夢か現か熱の中モデルナ打ちぬ休日の午後
高台に立ちて
髪舞いて白波起こす疾風の野分は来たり秋立ちにける
闇照らす御霊は天に還りけりいづれは我も逝く道なれば
予想外れ雨傘差して歩くなり晴天礼賛週末の午後
髪すきてこぼれ落ちたる白髪よ過ぎ行く年を思わざりしか
道に落つ亡骸軽くひぐらしの瞬きほどの夏の輝き
2回目のワクチン打ちて熱の中拡がる痛みに瞼を閉じる
今年の両親への誕生日プレゼントには歌を添えた。
立秋や母の作りし紫蘇の赤気高き色に吸い込まれぬる
夕暮れの涼しき風を身に浴びて健やかなることと永久にと願う
最近読んだ本でとてもよかったのは、サンキュータツオさんの『これやこの』という随筆集。