レポートの送付を無事すませて、
その後はスタバでお茶をしたり、読書をしたり。
日差しが強くなってきたので、自宅に戻り
洗濯洗濯。
(週末は寒くなるらしい)
「8(エイト)マインドフルネス・ステップ」
を読んでいて、「無常」の記載あたりで思い浮かんだこと。
そういえば、小学校低学年だったか中学年だったか、
授業が終わったあとのグラウンドの遊具で
日が暮れるまで友達と遊んでいて、
「楽しさの最高潮」になったときに、
「でも、これもいつかなくなるんだな」
ということを思い、涙がでそうなくらいに悲しくなったのを思い出した。
そのときは、「大人になるし、状況も、みんなも変わるし」
みたいなことを思っていたような気もするけれど、
言ってみれば無常だし。
この頃のわたしは、「楽=苦」の具体的な中身を知っていたわけではないけれど、
でも、わかったんだろう。
おなじように、家族と過ごす時間や、母親への甘えの中にも、
幸福感を感じると同時に、「いつか終わる」という悲しさもあったな。
そう考えると、仏教へ関心が向く根っこのようなものが、
小さな頃の私の中に、既にあった様子。
そして今は、同じ悲しさでも
あの頃の悲しさとは、少し質が違うように思う。
風のような??
春の木漏れ日のような感じかな。
今日みたいな感じかも。
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