春にして君を離れ

日々是好日(dairy)


風邪もすっかり治った。
身体が楽だと気持ちも楽だというのは、しみじみ。

結局、今年は桜を見なかった。
こんな年があるんなんて、想像もしたこともなかったけれど、
年々、こういう欲求は減っているようだ。

記憶の中に、いくつかの桜がある。実際に見た、居た桜もあれば、本など読んでイメージの中にある桜など。

記憶は、いったいどれくらいの場面を覚えているのだろう。存在として無くなり、二度と戻らない記憶というのは、あるのだろうか。それとも、上書きされ、修正され、あるいはまったく置き換わってしまったとしても、忘れ去られたとしても、記憶の種自体は、ずっと蓄積され続けるものなのだろうか。

ときどき、脈絡もなく突然思い出す記憶がある。何がきっかけになっているのか、きっかけなどないのかは分からない。あるいは夢。夢も記憶の何かの断片のような気もするのだけれど、よく分からない。

数年に一度、「夢」が「現実」の、特に仕事の問題を洗い出してくれることがある。少し自分が神経質になっていて、うまくいくかどうかが心配な仕事。できることはすべてしたけれど、一歩でも狂ったら、うまくいかなくなって、けっこう大事になってしまうやつ。そういったタイプの仕事が、数年に1度くらいの頻度で発生していたのだけれど、決まって「夢」で現れ、「現実」を助けてくれた。その夢は、それまで見えていなかった「見落とし」によって、大トラブルになる、というものだ。私は夢で焦り、唸る。そして目が覚め、「それか!」と思い、メモをとり、すぐに対策を立てる。そして、仕事はうまくいく。

最初は偶然かと思ったけれど、何度が遭遇するうちに、しかも決まって、かなり細かな運用が必要になり、かなり神経質になる仕事のとき限定で発生するので、偶然でもないような気がしている。
でも、ここ8、9年くらい遭遇していない。そんなに切羽詰まることが起きていないからだと思う。

人の話を聞くとき、できるだけその人の見ている世界がどんなものか、イメージしようと思うけれど、まったく、欠片さえもできない場合がある。でも、そっちのほうがまだマシかもしれない。「分かり得ないもの」の存在を忘れてしまいそうになるのは、人間のもつ傲慢さか、親密性の表れか。

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