最近、二人のひとから「自由に生きている人」認定を受けた。
二人はそれぞれ異なる意味で、「自由に生きている」という言葉を使っておられたようだけれど、今まで生きている中でそのように言われた記憶があまりなかったので、印象的だった。
「もっと自由に生きたい」と常々思っている。それは、一義的には「自分からの自由」という意味であるが、それだけでなく、実際の生活や人生的にも、できるだけ自由であることを望んでいる。
社会は変わり続けていき、それに合わせて自分の認識も更新され続けていく必要があるが、今まで積み上げてきた認識は、しぶとく脳の中に横たわっている。いや、脳の中だけでもないのかもしれない。
「自由に生きる」ことの終着点には辿り着かなさそうなんだけれど、ひとつずつでもいいから、自分のリミッターを外していきたい。