『ふたつの島とボート』-1つ目の島、2つ目の島、そして海に漕ぎ出でる-

ナラティヴ ・カフェ
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『ふたつの島とボート』という、ナラティヴ実践協同研究センターから販売された書籍がある。先日有志4人が集まって、紹介されている内容の中からいくつかをピックアップし、ワーク形式でやってみた。




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1つ目の島=今いる場所や状況。
そこはどんな場所なのか(のように思えているのか)。名付けてみたり。


2つ目の島=行きたい場所や状況。
それはどんな場所なのか。こちらも名付けを。

1つ目の島を旅立ち2つ目の島に出発するのか、
それとも見合わせるのか。

出発する場合、どのような旅路になるだろうか。
移動の際に想定される出来事はどんなことで、
それに対してどんなリソースがあるだろうか。


テーマを読み上げ、文章を読み上げ、各自で考え、みんなでシェアし、質問や感想を伝え合うシンプルなワーク。

集まった4名は全員、「岐路にいる」と感じているひとたち。状況は4者4様。思い思いの絵を描いていく。私自身はすでに出発を決めて、もう少ししたら見えない第2の島に向かって大海原に漕ぎ出す状態なのだけれど(そして漕ぎ出さざるを得ない)。

私の第1の島は「fog(霧)」と名付けてみた。舗装された道が数本、あとは畦道がいくつか。少し先までは見えるけれど、その先は霧に包まれて見えない、わからない。さて、どの道を行くか。

第2の島は「列車旅」と名付けてみた。いろいろな景色が見え、移り変わっていく。自然と都会、人とテクノロジー、いろいろごちゃまぜ。そしてなんとなく降りたくなった駅のホームに降り立ち、街に住む。しばらくしたら、また次の場所へ。旅は一方通行。出発した場所はあるけれど、「戻る場所」ではないのだ。

そんな2つの島を描き、最後にどのような旅路になるかを考えてみたところ、どうも今回の旅は、「2つ目の島」にできるだけ時間をかけていこうとしている自分に気が付いた。そう、「どれだけ道草ができるか」が私の望んでいる欲求のようなのだ。なので、旅路を遮るものは、「早く第2の島について地表に降り立ちたい(安定感を得たい)」という思い。

そうするとつじつまが合って、第2の島は実はそんなに重要でもないかもしれなくて(いや、重要ではあるんだけれど)、どんな島でも実はよくて(とはいっても好みの島がいいけれど)、ようは「島から離れよ」「航海をせよ」という、そういうことなのだ。

私の『ふたつの島とボート』はこんな感じだったのだけれど、1つ目の島である選択を迷っていた人は、2つ目の島について語っている中で、それがありありと「ある選択」を指し示しており、自分でも気が付かれ、語り終わった瞬間に自分が「したかった」決断に気づかれた。おそるべし、2つの島。




他にも、第1の島が大枠では自分の好みなのだけれど少し違和感を感じていた人が、より心地よさそうな第2の島を見つけたり、第1の島でしんどさを感じていた人が理想の第2の島を描き出し、「辿り着くかどうかは分からないけれど」出発をすることを決意されたり。

考えて、描いて、書いて、語って、聞いて、伝えて。結局3時間くらいしていのか。知らない人とやるワークもいいけれど、ある価値観を共有している人たちと一緒にやるワークも、やっぱりいい。

「物語」は、それを見つめる地点により、どんどんと変質をしていく。いくつもの物語が多重構造として現れては消え、一度見えた物語が錯覚であったかのように感じるときもある。それは確かに存在したのだろうけれど、二度と再び現れてくることはない。来ては去り、一方通行だ。

今回見えた物語も、ただ1回限りの物語であることは分かっているのだけれど、そしてこれを書いている時点で、その物語はすでに変質をし始めているのが分かるのだけれど、いったいこれをどう表現したらいいのだろう。

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