いつか書こうと思っていた、
とても印象的な思い出がある。
小学校3年生か4年生くらいのとき。
グラウンドにあった、傘の形のような、
回ったり、上がったりする遊具で、
遊ぶのが流行っている時期があった。
(「回旋塔」というらしい)
放課後が楽しみで、授業が終わると
急いで場所取りに行き、友達と下校の案内があるまで遊んでいた。
遊具の魅力は、重力の無くなる瞬間だと思う。
今は、危険遊具指定されて?、もうあまり残っていないようだけれど、
シーソーもそうだし、ブランコも、そのほかいろいろな乗り物も、
今だったらできないくらい、思いっきり振り上げて、
どこまで行けるか試していたし、
あの、体が遊具の動きに少し遅れて、ふわっとあがり、
そして降りてくる、あの感覚に、やみつきになった。
別の遊具で、一度大きく飛ばされて、宙を舞い、
びっくりするくらい強く柱に頭をぶつけ、倒れたことがあるけれど、
奇跡的にたんこぶで済んだこともあったな。
(先生がかけつけてきたけれど、親が呼ばれたけれど、その後どうなったんだろう)
そんな回旋塔。
飽きもせずに、捕まって、
くるくる回って、下げて、上がって、
日が落ちるまで、下校の時間になるまで
ずっと遊んでいた。
とても、とても楽しくて、
体が上がることも、ふわっと降りてくることも、
そして、友達と何がおかしいんだかわからないけれど、
ずっと笑っていることも、本当に幸せで、
ああ、わたしは今、一点の曇りもなく幸せだ、
こんなの、はじめて。
嬉しい、楽しい。
直後、いきなり悲しさがあふれてきた。
悔しくて、悲しくて、寂しくて。
胸がいっぱいになり、涙が出てきそうになった。
この楽しさや幸せは、ずっとは続かないこと、
いつかみんなで卒業して、それぞれの道をゆき、離れ離れになること。
こんなにみんなのことが好きで、いつまでも一緒にいたくても
それは無理なこと。
仕方がないんだけれど、あまりにも幸せなぶん、
とても悲しくなった。
そして、そんなことを考える自分に、
ばかだなあ、そんな先のことを考えずに、
今、こんなに幸せなんだったら、それを味わえばいいよ、
というようなことを思ったように思う。
とても強烈な記憶で、
なぜ、自分がそんなことを考えてしまうのか、
明らかに、周囲のひとたちとは共有できない(と思っていた)感覚だったので、
いまだに覚えている。
今振り返ると、私が文学や仏教や哲学が好きだったのは、
学問的に、というよりも、
小さい頃からなんとなく有していた、人生や人間というものに対する
悲しみの感覚を、救ってくれるのが、そのあたりにありそうだと
思ったからかもしれない。
大学進学のとき、一番行きたかったのは文学部で、
その中でも特に哲学科か仏教科に行きたかったのだけれど、
「文学部は就職に不利」という、何で読んだかも思い出せない言葉と、
母の、「哲学や仏教は怖いからやめて」という(たぶん、こういったことを学ぼうと思う人は、とても辛い経験なり、悲しみを抱えた人たちだから、あなたにそんなふうになってほしくない、というようなニュアンスだったかな?)
おそらく母本人はそれほど強い意図をもっていない言葉に影響を受け
(いえ、自分で無難な道を選んだのです。人から後ろ指をさされない道)、
結局は、その次に興味のあった法学部へ行ったのだけれど、
今になって、何の流れか仏教を学ぶことになり、
そして、母はとても喜び、応援してくれていて、
最初は、「悲しませてしまうかな?」と思って伝えただけに、不思議。
長い時間をかけて、回収されていくものもあるんだな。
今、幸せなときに、それが変質する悲しみを思うことはあるけれど、圧倒的な悲しさが溢れ出てくる、ということはあまりない。いろいろなものが紡がれて、いまこのときがあるのだと思うと、感謝の気持ちが生まれてくることもある。
でもそれは、どうなのだろう。
もしかしたら、変質することを安全弁にして、純度100の悲しみを避けようとしている部分もあるのかもしれない。あれは、本当に心に痛い。
偶然だけれど、今日はこれからとても楽しみな語らいの時間で、
とても、とても待ち遠しい◎
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