ミニマリストと乞食の翁

日々是好日(dairy)


部屋の大整理整頓があらかた終わり、日々生活をしている。
処分に困っていた、お遍路で使う傘と杖も、無事お寺に奉納できた。

日々の布団の上げ下げは、めんどうに感じる反面、運動にもなっていいな、と思った(これが運動と呼べるかは別だけれど・・・)。

昨日本屋さんに寄ったとき、「ミニマリスト」と書いてある文庫本が目に入った。ここで買ってしまっては元も子もないと思い、ぺらぺらとめくって立ち読みをする。

そこで描かれていたのは、いく人かの「ミニマム」な家であったり生活スタイルであったりしたのだけれど、共感できる部分と、自分とは違うかな、と感じる部分が混在していた。

以前参加をした松尾芭蕉の講座で、芭蕉が自分のことを「乞食の翁」と呼んでいた(?あろうとしていた?)ことを聞いたけれど、「在りたい姿」として考えるならば、そちらのほうが近い。

もし、「必要最小限。不必要なものは持たない」という定義で考えるならば、ミニマリストも乞食の翁も同様だろう。違いはおそらく、「それでも手元に残すもの」を見比べてみると分かりやすいかもしれない。後者には「退路を断つ」「圧倒的な孤独」という言葉もしっくりとくる。芭蕉然り、西行然り、山頭火然り。

先に「在りたい姿」として「乞食の翁」を挙げたけれど、実際はまだできない。リタイアして、あともう少しで生も終わり、というタイミングでしてみたいな、とは思うのだけれど、しないような気もする。

そういえば、何かの記事で最近アメリカ?で山頭火ブームが来ている、というのを読んだ。マインドフルネスといい、持つことや追いかけることへのカウンターなのだろうか。
まあ、芭蕉も西行も山頭火は、そんなことは考えていなかっただろうけれど。

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